川棚温泉の物語 お多福の精神

川棚温泉の物語 お多福の精神

川棚らしく 新しく
楽しく 美味しく 美しく

最老舗 溫泉旅館
於多福屋

昭和10年(1935)川棚温泉案内によると、川棚グランドホテルお多福の前身「於多福屋」は、「川棚温泉 最老舗。創業以來實に百有餘年」と記されています。創業は江戸時代の天保年間(1830~1844)に遡り、185年以上の歴史があります。明治以降には旧毛利藩主や井上馨が滞在しました。地表四十尺の三層楼(三階建)で「山紫水明」の展望に富み、男島女島の島々(厚島)の眺望がとても優雅でした。

於多福屋

於多福屋

施設紹介

施設紹介

なだらかな山
おだやかな島
なめらかな湯
川棚のやさしさにつつまれる
お多福なひととき

時を超えて慧眼な人々を魅了したのは、「なだらかな山」「おだやかな島」「なめらかな湯」につつまれた川棚の「やさしさ」だったのだろうと思います。
川棚は決して壮大な景観ではありませんが、俳人・山頭火が広すぎずちょうどよいと称賛しました。鬼が城連山の懐に身をおいて、響灘に浮かぶ厚島(孤留島)を望むと心が安らぎます。
まるで龍神さまが里人の暮らしと営みを、やさしく抱いて守っているようです。広すぎず狭すぎずの心地よさが、偉人たちの身も心もつつみ、終の住処にしたいと落着かせたのかもしれません。
いまも川棚には、ずっと眺めていたい、いつまでも暮らしたくなる やわらかな風景があります。
私どもは、山裾と島に守られた川棚をひとつの「庭」と見立て、天然の自然「森」と里人が造る自然「杜」を、「川棚らしい緑と物語」で美しくつないでいきたいと考えています。
川棚温泉800年の温故知新と守破離。これからも庭園旅館という舞台で、やさしい風土が育んだ「食文化」「温泉文化」「芸術文化」などの生活文化を、「川棚らしく、新しく」みなさまに楽しんでいただけると幸せます。

施設紹介

施設紹介

訪れるみなさまの喜びは
ここで暮らす私どもの悦び
みなさまと幸福になる旅館で
あり続けたいと願います

川棚グランドホテル お多福

川棚温泉より厚島(孤留島)を望む

川棚温泉より厚島(孤留島)を望む

守護神 青龍が
やさしく見守る川棚温泉
毛利のお殿様 俳人山頭火
音楽家コルトーに愛された
物語

アイコン

川棚温泉守護神 青龍

遥か昔この地の沼に青龍が棲んでいましたが、地震で亡くなってしまいました。
哀れに思った里人が青龍を祀ると、温泉が湧き上がり、川棚温泉の起源となりました。湯の里に語り継がれる青龍伝説。
いまも地元の松尾まつのお神社には青龍権現が祀られ、
川棚温泉の守護神として崇められています。

温泉守護神「青龍」と
お酒の神「醸造祖神」を祀る松尾まつのお神社

川棚温泉の青龍権現松尾まつのお神社は、日本第一の「酒造神」である
京都松尾大社の神霊を、天正年間に山口県内で唯一相殿あいどのとして祀った社です。

龍神さまに祈る、捧げる、万年願「せぎもち」
~いまも、川棚温泉の暮らしと命を受継ぐ~

万治3年(1660年)から続く川棚温泉守護神「青龍権現」祭礼の神事。
川棚一帯に悪疫が流行し多くの里人が亡くなりましたが、青龍権現に温泉の恵みを感謝し、「せぎもち」を供えて祈願したところピタリと収まったといいます。
この願かけを「万年願」といい、温泉が湧き続けるかぎり青龍権現(松尾神社)へ「せぎもち」を供え続ける事を約束しています。
「せぎもち」とは、サスという棒で餅を搗いて「青龍権現」にお供えしようとする「善玉」と、これを邪魔しようとする疫病の「悪玉」がせぎあって(せめぎあって)、「善玉」が勝ち最後は一緒になって餅をつく神事です。現在川棚温泉まつりへ受継がれています。
温泉に感謝、無病息災と五穀豊穣の祈り「万年願」。これからも龍神さまは川棚の暮らしに寄添い見守りつづけます。

川棚温泉守護神

万年願

万年願

川棚温泉守護神

万年願

万年願

龍神さまに祈る、捧げる、万年願「せぎもち」
~いまも、川棚温泉の暮らしと命を受継ぐ~

万治3年(1660年)から続く、川棚温泉の守護神「青龍権現」祭礼の神事。
川棚一帯に悪疫が流行し多くの里人が亡くなりましたが、青龍権現に温泉の恵みを感謝し、「せぎもち」を供えて祈願したところピタリとおさまったといいます。
この願かけを「万年願」といい、温泉が湧き続けるかぎり青龍権現(松尾神社)へ「せぎもち」を供え続ける事を約束しています。
「せぎもち」とは、サスという棒で餅を搗いて「青龍権現」にお供えしようとする「善玉」と、これを邪魔しようとする疫病の「悪玉」がせぎあって(せめぎあって)、「善玉」が勝ち最後は一緒になって餅をつく神事です。現在川棚温泉まつりへ受継がれています。
温泉に感謝、無病息災と五穀豊穣の祈り「万年願」。これからも龍神さまは川棚の暮らしに寄添い見守りつづけます。

毛利侯

長府藩第三代藩主・毛利綱元が病気平癒のために訪れたことを機に歴代の毛利侯に愛されてきた川棚温泉。お殿様専用の「御殿湯」や「御茶屋」も設けられ、「川棚八景」も選定されました。
山口県内でも有数の湯治場として賑わい、御前座の川棚芝居「若嶋座」が誕生するなど、川棚らしい温泉文化が花開きました。今も、お殿様が川棚温泉へと通った赤間ヶ関街道が「毛利侯御殿湯街道」として残り、当時の面影を偲ぶことができます。
明治時代には井上馨も「御殿湯」に浴しリュウマチの治療にあたりました。この時下湯を「青龍泉」、上湯を「寿永泉」と命名し揮毫。当時の於多福屋(当館)にも滞在しました。

医王如来の霊験深く感じ候也 
毛利綱元 1651~1709

種田山頭火

漂泊の俳人・種田山頭火。昭和7年(1932年)の晩年 川棚で100日ほど滞在し約三百の句を残しました。
「山裾に丘陵をめぐらせ地形において申し分がない。川棚温泉は私の最も好きな風景である」と称賛。
美しい風土に魅せられた山頭火は、川棚を「終の住処」にしたいと切望しましたが、果たされることなく
生涯を終えました。いまも川棚には山頭火の句碑が残っています。

花いばら、こゝの土とならうよ 
種田山頭火 1882~1940

アルフレッド・コルトー

昭和27年(1952年) 川棚を訪れた世界的なフランス人ピアニスト アルフレッド・コルトー。
厚島の美しい風景に魅せられ、「私はこれまで世界の美しい海や山を見てきたが、こんなに美しい夢のような島はない。日本はブレ・ペイ(本当の国)だ」と語りました。村長に島を買取りたいと申し出たところ、永住を条件に無償で譲り受けました。感激しトレビアンを連発。「必ずまた川棚へ帰ってきます」と誓いましたが、願いは叶わず他界。
コルトーが愛した厚島はいまでも、彼の名前にちなんで「孤留島(こるとう)」と呼ばれています。
「厚島(男島・女島・龍宮島・石島 4島の総称)」は、川棚から正面に望むと、男島・女島・龍宮島が三位一体となって、左右対称の美しいシンメトリックな1つの島に見えます。

わたしの思いはひとりあの島に
残るだろう
 
アルフレッド・コルトー 1877~1962

川棚の杜・コルトーホールより 孤留島を望む(隈研吾氏設計)

川棚の杜・コルトーホールより 孤留島を望む(隈研吾氏設計)

川棚の杜・コルトーホールより 孤留島を望む
(隈研吾氏設計)

「川棚とコルトーの物語」を生かした
音楽のまちづくり

「コルトーが愛した川棚の夢の島」を生かして、川棚の住民が「音楽のまちづくり」に取組んでいます。
日仏交流150年にあたる2008年 下関市とコルトーがパリに設立したエコールノルマル音楽院はパートナーシップを結びました。
2010年 コルトーが滞在したホテル跡地に念願の「川棚の杜・コルトーホール(隈研吾氏設計)」が誕生。住民自らが設立した「川棚温泉まちづくり株式会社」が運営しています。毎年フランスの音楽家を招聘し、「川棚・コルトー音楽祭」を開催。
「まちかどに音楽を。生活に芸術を。美しい時間をご一緒に」を合言葉に、川棚温泉は誰もが気軽に音楽を楽しめるまちづくりを目指します。

コルトーサイン

川棚温泉

川棚温泉
800年の歴史と地名の由来

川に棚をかけ、水茶屋で涼む人々の
風景から生まれた地名
川棚 KAWATANA

川棚温泉は、安徳天皇の寿永二年(1183)に温泉が発見され、時の領主 平定盛が湯屋を建設。その後、応永年間(1394~1427)三恵寺の怡雲和尚が薬師如来の化身である霊泉を再発見したと伝えられています。
川棚の初見は「河棚庄」として平安時代の治承元年(1177)に「長門国司下文」に登場。仁明天皇の勅願で建立された京都嘉祥寺(平安後期は仁和寺別院)の「庄園」でした。江戸中期 元文四年(1739)の「地下上申」の記録によると、諸国より商人が集う「市」で繁盛した「松屋(現 松谷)」の浦入江(現 川棚川の河口)の両側に、多くの水茶屋が「棚」を架けて並び、人々が涼んでいたそうです。あたかも川に棚をかけたようなその風景から「川棚」と呼ぶようになったと記されています。

川棚温泉

川棚温泉

「川棚禮讃(カワタナライサン) 昭和10年 評論家 橫山健堂」より抜粋

~私が特に川棚に関心を持つのは、その温泉氣分である。温泉氣分と温泉成分とは必ずしも正比例に協調するものではなく、時としては氣分が成分よりもより以上に、更に優秀なる聲價を発揮する場合がある。川棚はそれである。由來、白砂靑松の勝地に温泉をもつといふ場合は極めて稀なことであるが、川棚はその得難き一例でなければならぬ。
川棚には高山大河、人目を驚かすに足るものはなけれども、地盤は花崗岩に屬し、地面清麗にして、拭ふが如く、起伏する山邱は本洲脊髄の大山脉に迫つて潮の如くに高下し、蜿蜒として左右に伸びて豊沃な平野を抱いて日本海に至る、纏まつた一幅の書趣、平和な住心地の善さそうな一景観である。
この風景地帯の奥まつたところ、鬱蒼たる綠樹の權現山の麓に温泉は湧くのである。温泉は透明にして澄み、湯の中に沒入した白い脚は大理石像のようにさえ見える。沙白く天碧にして紺碧の日本海の光は空中を浸し、浴槽に居れば磨硝子の窓に映つる花の色は油繪のように美しい。明朗にして閑静な氣分が川棚温泉の特徴にして、吾邦の數多き温泉のうちに特筆すべき聲價はそこに存するのである。~

川棚温泉案内附狗留孫山名勝図絵(烏山民俗資料館所蔵)

川棚温泉案内附狗留孫山名勝図絵(烏山民俗資料館所蔵)

CLOSE

CLOSE

MENU